
アドラー心理学(アドラーしんりがく)、個人心理学(こじんしんりがく、individual psychology)とは、
アルフレッド・アドラー(Alfred Adler)が創始し、後継者たちが発展させてきた心理学の体系である。
個人心理学が正式な呼び方であるが、日本ではあまり使われていない。
岸見一郎によれば、もともとはジークムント・フロイトとともに研究していたが、
その学説はフロイトの理論とは大きく異なり、たとえば苦しみの原因をトラウマに求めないことなどがあげられる。
アドラー自身は自分の心理学について、個人心理学(Individualpsychologie)と呼んでいた。
それは、個人とは分割できない存在である、と彼が考えていたことによる。
5つの基本前提(5Basic Assumption
個人の主体性(Creativity)
アドラー心理学では、個人をそれ以上分割できない存在であると考えることから、全体としての個人が、心身を使って、目的に向かって、行動している、ととらえる。アドラー心理学では、個人の創造力、創造性を評価していて、それが個人の変化、変容を可能にする根拠となっているので、主体性というより創造性の方が適切である。
目的論(Teleology)
全体としての個人は、生物学的には、個体保存と種族保存、社会学的には、所属、心理学的には、その人らしい所属、という目標のために行動する。
全体論(Holism)
アドラー心理学では、個人を、例えば、心と身体のような諸要素の集合としてではなく、それ以上分割できない個人としてとらえる。したがって、アドラー心理学では、心と身体、意識と無意識、感情と思考などの間に矛盾や葛藤、対立を認めない。それらは、ちょうど自動車のアクセルとブレーキのようなものであって、アクセルとブレーキは互いに矛盾し合っているのではなく、自動車を安全に走行させるという目的のために協力しているのと同じように、個人という全体が、心と身体、意識と無意識、感情と思考などを使って、目的に向かっているのである。
社会統合論(Social Embeddedness)
人間は社会的動物であることから、人間の行動は、すべて対人関係に影響を及ぼす。アドラー心理学では、人間が抱える問題について、全体論から人間の内部に矛盾や葛藤、対立を認めないことから、人間が抱える問題は、すべて対人関係上の問題であると考える。人間は人間社会において生存しているものであって、その意味で社会に組み込まれた社会的存在なのである。社会的存在であるので、対人関係から葛藤や苦悩に立ち向かうことになるが、個人の中では分裂はしていなくて一体性のある人格として行動している。すべての行動には対人関係上の目的が存在している。社会に統合するというよりも、最初から社会的存在なのである。
仮想論(Fictionalism)
アドラー心理学では、全体としての個人は、相対的マイナスから相対的プラスに向かって行動する、と考える。しかしながら、それは、あたかも相対的マイナスから相対的プラスに向かって行動しているかのようである、ということであって、実際に、相対的にマイナスの状態が存在するとか、相対的にプラスの状態が存在するとかいうことを言っているのではない。人間は、自分があたかも相対的マイナスの状態にあるように感じているので、それを補償するために、あたかも相対的プラスの状態を目指しているかのように行動するのである。これは哲学における認知論の問題である。ただし、「認知」という用語の使い方については、基礎心理学(臨床治療を直接の目的としない研究)の20世紀後半以降の主流派であるところの認知心理学における「認知」とは大きく異なることに注意が必要である。
アドラー心理学の治療、または、カウンセリングは、
上記の理論に基づいて、後述する来談者の共同体感覚を育成することが目的である。
アドラー心理学においては、治療、または、カウンセリングの技法は、上記の理論に基づいて、来談者の共同体感覚の育成を目的として、適宜適切な技法が選択されるので、治療、または、カウンセリングの技法その部分だけを取り出すと、認知主義、認知行動主義、短期療法などの諸派の治療技法と同様に見られることがある。
しかしながら、後に、認知主義、認知行動主義、短期療法などに分類される様々な治療技法に関して、既にアドラー自身が用いていた技法も多い。
アドラー心理学に基づいた治療、または、カウンセリングでは、アドラー心理学の理論に基づいて、来談者の共同体感覚を育成する目的で、様々な技法が用いられる。そのような治療中、または、カウンセリング中に、治療者、または、カウンセラーが、常に意識しているのは、来談者のライフスタイルについてである。